2000年独創性を拓く 先端技術学生論文 努力賞入賞作品
21世紀の技術者に必要なもの
徳山工業高等専門学校 浅本 誠
第1章 緒言
現在日本の経済は低迷を続けており、この状況を打開すべく多くの分野でやる気のある、創造力のある人間が必要とされている。これは科学技術分野でも例外でなく、優れた技術者を生み出すにはどうすればよいのか議論が続いている。この論文では、いくつかの資料や、学生である自分が体験したり感じたりしていることを通じて、優れた技術者になるためにはどうすればよいのかということや、学生である自分は何を身につけていけばよいのかということを考えていく。
第2章 創造力について
21世紀の技術者に必要なものとして、創造力が重要な要素の1つと考え、1年の創造演習のテーマとして取り組んでみた。その結果、創造力を養うために必要なことをいくつか知ることが出来た。2−1はその要約である。2−2ではそれをふまえた上で、徳山高専で行われている創造教育を見直してみる。
2−1.アイデアを生み出すために必要な要素1)2)
(1)知覚を磨く
知覚は身体に入ったいろいろな情報から必要な部分を選んで吸収する能力のことであり、知覚を磨くためには感覚を磨くことが必要である。感覚を磨く為には、常に美しいもの、価値のあるものに触れることが大切である。感覚を磨くことによりものごとを構成している多くの成分や、どこが大事なのかということを知ることが出来るようになり、知覚を磨くことにつながる。そして身体に入ってきた情報をうまく利用するためには、その情報をグループ分けして記憶したり、心の中で解析、統合、修正を行うことが大切である。
(2)慣れから抜け出す
人は普段からかけ離れていることをしたがらないという傾向を持っているが、創造活動はそれとは正反対の活動なので、そういった「慣れ」から抜け出す必要がある。
(3)自分の方法を見つける
創造活動を行うときは自分の好きな方法で行い、創造活動を楽しむことが大切である。
(4)協力する
創造活動は複数の人数の協力で更によいものにすることが出来る。グループで創造活動を行う場合、問題の焦点を絞り、ルールも決めておき、他人のアイデアの評価をしたり、批判を行ってはならない。
(5)自由な環境
創造活動は何か新しいことをするとき妨害されるようではうまくいかない。若い人間、創造的な人間が自由に創造活動が出来るような環境をつくっていく必要がある。ただ、ここで言う自由とは責任ある自由のことであるので、そこに注意する必要がある。
(6)上手にコミュニケーションをとる
上手にコミュニケーションをとることは生活の上でも創造活動の上でも大切なことである。聞くこと、話すこと、書くこと、読むことという項目に分けてコミュニケーションに大切なことを述べる。
・聞くこと
聞くときに大切なことは、まず話し手についてよく知ったり、話のテーマをよく理解 するといった準備をすることである。話を聞いているときは、話し手のペースにあわせ、 言葉の中の本当の意味を考えながら、話し手より先に結論を出してしまわないように気 をつける。そして話し手の内容の本質的な点を選択して記録する。
・話すこと
話すときに大切なことは、まず自分が伝えたいことは何かを考えることである。
次に、聞き手は誰かということを考える。聞き手についてよく知ることで、次の項目 である、どのように伝え、話すかということも決まってくる。
そして次にどのように伝え、話すかということを考える。このとき、視覚材料を使用することが良い方法の1つである。視覚材料を使用するときに注意することは、1枚で目的は1つにすること、全部見えるようにすること、聞き手の興味を引くような自分のやり方でまとめることである。
・書くこと
書くときには、まず読者にこれから言おうとしていることを書く。次にその内容を まとめる。最後に書いたことのまとめを書く、といった順番で書いていく。このとき注意することは特殊な言葉、長い言葉や文章は避けるということである。そして何度も推敲し、改良、編集を行う。
・読むこと
読むときには読む目的をはっきりさせて読み、書き手の言おうをしていることを考 えて読むことが大切である。
2−2.学校生活から得られること
徳山高専では、創造力の育成を学校の目標として授業が行われている。創造演習では、各自が自分の関心のあるテーマを自由に選んで研究する。また創造製作では学生の自由な発想を促すものづくりがテーマとなっている。創造演習で自分は1年から2年間21世紀の技術者に必要なものを考えてきた。2年から始まった創造製作では、2人ずつのグループを作り、風船割り競技を行うロボットを製作し、他の同級生と競った。こうした学校での授業とはまた別に、2年の夏期休業中には総合実地演習という、実際に企業で1週間程度研修を行う授業があり、学生の社会に対する意識を高める役目を果たしている。こうして授業で取り組んだことを、2−1で得られたことと照らし合わせてみると、これらの授業科目の中に創造力を養う上で必要な条件が多く含まれていることを見出した。
まず自分達が自由に行動できるという点は、2−1の(5)に当てはまり、創造活動を行う上で恵まれた環境にあると言える。そして研究を進めたり研究した事柄をまとめていく段階で自分にはどういう方法が適しているのかを考えることができ、このことは(3)の自分の方法を見つけるということにつながってくる。自分の好きな方法を見つけることが出来れば、行動の効率も上がり、楽しんで創造活動を行う事が出来るようになる。また創造製作では複数の人数で創造活動を行うことにより、コミュニケーションのとりかた、協力の仕方を学ぶことが出来る。これは2−1の(4)・(6)の項目に当てはまることである。そして完成した他の同級生のロボットや研究内容には、自分にはない良さや、自分が気づかなかった新しい方法に対する驚きがあり、自分の視野を広げることにつながり、(1)の項目に当てはまる。
こういうふうに、考えてみると創造演習や創造製作といった時間は、創造力を鍛えるにはとても良い時間だということが分かる。実際の創造活動に近いことを行ってみて、自分の課題が見えてきた。自分には経験や知識が不足しており、創造活動を行う以前の状態であること、コミュニケーションをもっとうまく行えるように努力する必要があること、学校生活に対する慣れにより意欲的な姿勢が失われ、自分がこういった時間を有効に利用できていなかったということである。特にこの点、2−1では(2)に当てはまることができていないということが自分に限らず学生全般に見られる傾向だった。
こうした時に、総合実地演習が実施され、学校という生活しなれた環境を離れて企業の中での活動を行うことによって、また多くの刺激を得ることができた。なかでも自分の印象に残ったものは、現場で働いている技術者の方の話だった。どの方もそれぞれの経験の中で、優れた技術者になるためにはどうすればよいかを導き出していた。そしてだれもが、人同士の付き合いを大切にするといったことや、今のうちにたくさんの経験をつんで、いろいろな分野の知識を得ておくことが重要であるということを話しておられた。現場で働く方の言葉には説得力があり、この授業は学校生活に対する自分の態度を見直すよい機会となった。
これらの授業を振り返ってみて、学校生活には創造力を磨くチャンスがたくさんあることが分かり、問題はそれを自分がどう生かしていくかだということもよく分かった。十分にこうした授業を有効に利用していくようにしていきたい。
第3章 2人の技術者について
2年での創造活動では、それぞれの分野で創造的な活動を行った吉村秀雄さん、本田宗一郎さんについての研究を行った。2人は違った分野の技術者であるが、生き方や考えていたことにいくつかの共通点を持っており、その共通点が2人が優れた技術者である要因となっていることが分かった。以下はその要約である。
3−1.2人の生涯
2人の技術者についての簡単な説明をしておく。
・吉村秀雄さん3)5)
吉村さんはオートバイのチューニングを現在行っている「ヨシムラ」の創始者で、1922年、福岡県に生まれた。幼い頃から戦闘機乗りにあこがれていた吉村さんは海軍少年航空学校、通称予科練に入学する。しかし2年目に事故が起こり、除隊を余儀なくされ、機関士として第二次世界大戦に参加することになった。
そして戦後、実家近くでバイクの修理屋を始めた吉村さんは、米兵に誘われ、実家近くの基地で行われるレースに参加する。これがきっかけで、吉村さんはレースに興味を持ち、バイクのチューニングにのめり込んでいくことになる。
その後、日本はもとより外国のレースにも積極的に参加して、病気や、アメリカでの会社乗っ取りといった事件にも負けず、レースではすばらしい成績を残した。
そして1995年、心不全でこの世を去った。
・本田宗一郎さん4)
本田さんは1906年に、静岡県に生まれた。機械が好きだった本田さんは、自動車の修理を行っていた「アート商会」に入社する。その後その支店を持つようになり、その会社を発展させたりと、本田さんは活躍する。
そして戦後、一時は戦後の無力感から抜け出せない本田さんだったが、1946年「本田技術研究所」を創設し、そこで研究員や作業員と一丸となって働き、数々の困難を乗り越え、現在の「ホンダ」の基礎を築いた。
そして1991年、この世を去った。
3−2.2人の持っているもの3)4)5)
2人についての資料をもとにして、2人が優れた技術者である理由についてまとめた。
1922年に生まれた吉村さん、1906年に生まれた本田さんは、ものを創り出す仕事をしている父の元で育った。幼い2人が興味を持っていたのは飛行機で、2人とも飛行機を見るために何十キロも離れた場所に出かけている。
この他にもいくつか共通した少年時代を送った2人には、この時代の男に共通してある"しつこさ"や"執念"と呼ばれるものを持っていた。
戦後、吉村さん、本田さん共にそれぞれの会社を持ち、そこで数々の苦難を乗り越えていくことになった。なぜ2人は多くの部下を引き連れてやってこれたのかを考えてみると、以下のようなことが挙げられる。
まず言えることは2人が強力なパワーで何でも先頭を切ってやっていたということである。ホンダが経営危機を迎えていて、研究員が家にも帰らず作業しているとき、本田さんも家には帰らず研究員と共に作業をしていた。このことについて、自分は家に帰ろうとはしなかったのかという問いに対して、本田さんは「まず俺がやらなきゃどうしようもない。みんなにお前らやれといって、俺がうちに帰っていたんじゃどうなるか。だから俺が一番先頭にたってやっていたんですよ。必ず上に立つものが先に立ってやらないといけないんだ。・・・」と答えている。
吉村さんもレースのときは常にピットロードに立ち続けた。なぜピットロードに立ち続けるのかと吉村さんに尋ねたとき、「予科練時代に、日露戦争の時、東郷平八郎元帥は安全な司令塔には入らず、あぶない艦橋の上で指揮をとっていたと聞かされていた。それを聞いて、人に危ないことをやらせるのに自分だけ安全なところにいてはいけないし、また実際にレースの流れを一番よく把握できるのもピットロードだから。」と答えた。
吉村さんと共に働いていた部下の1人は「おやじさんには人を引きつけるというか人をがんばらせるパワーがある。おやじさんが一生懸命やっているのだからって、みんなついていっちゃうんです。」と言っている。実際吉村さんは体調を崩すまで、60歳を越えても徹夜するほどがんばっていた。
また2人は人を大切にしていた。2人とも部下の人間を怒鳴りつけることはしばしばあったそうだが、それは不注意でミスを犯したようなときで、一生懸命に物事を行った結果での失敗では怒らなかった。多くの人が2人のことを「おやじ」、「おやじさん」と親しみを込めて呼ぶことから、2人が人を大切にしていたことがうかがえる。
そして2人は勝負師でもあった。吉村さんも本田さんも、レースでは勝つためにはどうすればよいかという事を常に考えていて、数々の勝利を収めてきた。また負けた場合でも、敗因を徹底的に追求し、次回に生かしていこうとした。
2人はアイデアを生み出すために必要な行動力、鋭い観察眼、自分のスタイル、人に役に立とうとする意志を持っていて、技術者としてもすばらしい仕事を残している。もっと良いものにするにはどうすればよいのかを考えていると、2人ともいろんなアイデアがうかんでくるようで、アイデアがうかぶとたとえ夜でも作業をしたそうだ。吉村さんは病気の時でもオートバイのことを考えていて、新しいオートバイの排気管のアイデアを生み出したりもしている。ホンダの製品にも本田さんのこだわりが見えているものがたくさんある。製品を見ればその人の考えていることが分かるとよく言われるが、ホンダの製品に吉村さんは本田さんの意気込みを感じ取ったようで、吉村さんは本田さんのことを絶対的に尊敬していると言っている。
本田さんは創作側、吉村さんはより元を高める側にいた。どちらの側もお互いに必要で、こういう人たちが、今の世の中や今のモータースポーツをつくったということを忘れてはいけないように思う。
第4章 結言
創造力は誰もが持っている能力で、訓練で鍛えることが出来る。創造力を使ってアイデアを生み出すためには、すべての感覚と知識が必要になる。日頃から創造力を鍛えようと考えて生活することが重要である。また創造的な人間が自由に創造活動を行えるような環境を整えていくことも重要なことである。このようなことから考えると、学校生活には創造力を磨くためのよい機会が多くあるので、進んでそれらを利用していくことや、どんなことも意欲的に行っていく必要があることも感じた。
次に2人の技術者について考えたが、2人が技術者として成功したのには、人間的な要因が多いことが分かった。具体的には、"しつこさ"や"執念"と呼ばれるものを持っていたことや、すさまじい行動力でものごとを行い、人を大切にしたことなどが挙げられる。 これらのことを調べて、優れた技術者になるために今の自分に必要なことは多くの経験を積むこと、いろいろな知識を身につけることだと感じた。多くの人の話を聞いたり、新しいことに挑戦したりしていきたい。そしてこれからも優れた技術者になるためにはどうしていけばよいのかを自分の課題としていこうと思う。
参考資料
1)「アイデアはいかに生まれるか」 後藤尚久著(講談社)
2)「2+2を5にする発想」 エドガーハーディー著 上田洋介訳(講談社)
3)「ポップ吉村の伝説」 富樫ヨーコ著 (講談社)
4)「ホンダ50年史」 (八重洲書店)
5)「ヤングマシン」1995年6月号(内外出版社)